国語のレポート

めっちゃふざけたレポートで般教にてAが取れたので、記念にそのレポートをブログにて保存して置きます。

2時間で書いたので読み返せば文章の稚拙さが目立ちますが、まあ、A取れたってことなので多めにみてちょ

 

本講義では、“文学史を代表する作家の小説を読みながら、大日本帝国が崩壊した後の日本人がいかなる心理的現実を生きたのかを考察”してきた。(シラバスより)

今回取り上げる「仮面の告白」であるが、この小説は三島由紀夫が自身の同性愛を吐露した作品という認識がもたれている。しかし、私はこの通説に対して異を唱えたい。

この作品は、三島由紀夫が自身の「失敗」を合理化するために執筆したものであるように私には思える。本レポートにおいては、私がそう考えるに至った要因を複数挙げて説明していく形を取ろうと思う。

第一に、この小説におけるヒロインである「園子」のような人格を持つ女性が、三島の作品において絶えず登場してくると言うことが指摘できる。現に「夏子の冒険」における主人公である夏子や「女神」における朝子、彼自身が「究極の小説」を目指したと語った遺作でもある「豊饒の海・第一巻 春の雪」における聡子らがそれに当る。

彼女らの特徴は「処女」であり「良家」に産まれ「学はなく」「非論理的」ではあるが、時に男性的(論理的)視点の予想を超える行動を起こす存在であること。確かに、この人物像、非論理的であり学がないと言う特徴は彼自身が公言する「女性嫌い」に起因するもあるかも知れない。彼は「男性は精神と肉体との二別が適うが、女性はそれができない」などの、“女性は感情的なものである”といった女性蔑視発言が目立つ。それらが「三島由紀夫」と言う仮面を被った上での発言であるのか、それとも本心からのものであるのかは知らないが現に男性は女性に優越すると主張する立場に自身を規定しているのは確かであろう。しかし、それだけが「園子」が他作品にも登場する理由にはならない。この作品に登場する「園子」は、三島自身が過去に交際していた女性がモデルとなっている。彼の作品において“魅力的な女性”として登場する女性たちの多くが共通する部分を持ち合わせているのは、その部分に過去の三島、いや平岡公威が魅力を感じたから、または彼が懐古するものにおける特徴がそれらであるからではないだろうか。

この指摘が正しいものであるとするならば、三島は人生における至る時においても「園子」との過去を、追懐しているまたは幸福な情景として思い返していることになる。

ではなぜ彼は「同性愛者」であると言う仮面を被らなければいけなくなったのだろうか。その点について私は先述の通り、彼は「過去の失敗を合理化」するためにこの作品を書いたのではないかと言う推察を私は立てた。

この作品の前半部は彼の同性愛的兆候を幼少期から学生期にかけて描かれてあり、後半部は「園子」との恋愛を軸に描かれている。その恋愛は戦時中におけるひと時の幸福として描かれてはいるが、交際を重ねていくその都度に自身の同性愛的傾向による“違和感”が生じ、それによって二人の関係は破綻する。

そもそも、作品執筆の3年前に「園子」のモデルであった女性が結婚したことを聞いた三島が心的ショックによりひどく泥酔したこと、その翌年に主婦となったその女性と出会い自伝作品の執筆を決意してこの作品が生まれたこと、この2点を踏まえて言えば、この作品がその女性との過去の思い出を内的に清算するために書かれたことは明白である。

また、彼が自らの「不可能」に直面する場面、学友に誘われて赤線へ行くも遂に至ることなく自身が同性愛者であることを確信する場面であるが、これと同様に遊郭での初体験においてその行為に絶望する描写は「金閣寺」における『想像裡の歓喜に比べていかにも貧しかった』と言う記述からも見られる。これより、確かに三島にとっての初体験は彼の想定を下回った興醒めなものであったことは確かなのであろう。しかし、果たしてそれは自身が同性愛者であるからの「不可能」であったのだろうか。自身が同性愛者であると言う論を補強するための要素であったと考えることはできやしないか。この小説は「園子」との失敗を合理化するため、また、自分ではない他人と結婚した「園子」への追憶を攘うために書かれたものであると言うにたる根拠は先に示した。この点を考慮するならば、この初体験の描写を始め、様々な同性愛的傾向を示す描写が「仮面」であることがわかる。この小説の前半部における主要的人物である「近江」や「セバスチャン画」、「粗野な漢たち」への特別な感情についてであるが、これは三島が彼らに感じていた「英雄的羨望」に起因する感情を、「性欲」によるものであるとあえて曲解したものではないだろうか。三島の小説において、教養や家柄は無いが肉体に恵まれた青年を「英雄」として登場させる作品は「午後の曳航」をはじめ多々ある。これは彼の少年期が病弱かつ虚弱なものであったが故に抱いた劣等感による、自身と対照的存在へと向けられた羨望であることは間違いない。また、彼が幼少期を祖母によって「女性的」に育てられたと言う経験も一助となっているのだろう。オスカーワイルドもまた、彼同様に幼少期を「女性的」に育てられた。三島は晩年において、古代ギリシア文化を引用した肉体的均整美と、ワイルドらを引き合いに出したダンディズムの必要性を強く説いた。ワイルドは「仮面の告白」の中にも語られており、また彼はソドム(同性愛者)であった。同様に作中で話題になるプルーストもまたソドムである。

三島は自身を、フランスの詩人で弱冠20歳にて夭折したラディゲに投影していたと語っている。彼の死生観、特に大東亜戦争にて青年のまま死ぬことに人生の終局を定めていた点はこれに大きく由来する。そのため彼が、自分をラディゲ以外の偉人に投影していたのでは無いかと言う推察は自然と納得がゆく。自身と同じような幼少期を過ごした不世出の天才詩人オスカーワイルドに抱いた羨望、それに自己を同一化させようと目論んだ青年が自身に何らかの特異性を見出そうとした際に彼の持つ「同性愛的傾向」に目を付けたのでは無いだろうか。幸いなことに、自分が小さい頃から「英雄的男性」に特別な感情を抱いているのは事実である。この、単純な羨望によって生じた「特別な感情」が、自身が「同性愛者」であるが故に生じたものであったのだと自分に言い聞かせ、そのような「仮面」をこの小説を通して衆目に晒すことによって、平岡公威は「三島由紀夫」と言う名の「仮面」を構築したのではなかろうか。

端的にまとめると、彼が小説において行ったとされる自身の「同性愛的傾向」の吐露は、第一に「園子」との恋愛が破綻するに至ったことを合理化させるため、第二に自身の初体験が失敗に終わったことを合理化させるため、第三に病弱かつ虚弱な自分故に抱く劣等感から、自身が尊敬する人物に自分を投影させるために行ったものではないかと推察できる。

これからはあくまでも私の私見であるが、三島はこの「仮面の告白」において作ったもの以外にも数多くの「仮面」を作り続けた人間のように思う。彼の小説・随筆・映像資料を拝見するに至り、彼ほどに緻密な思考力・膨大な知識量を持ち、現実を正確に把握することができていた人は今まで見たことがなかった。彼のような人間が時勢を見誤り、「三島事件」とのちに語られる惨劇を何一つの疑問もなく引き起こしたとは私には到底考えられない。彼にとって、その「惨劇の中に死ぬる愛国者」という「仮面」が、彼にとって自分がなりうる「英雄」だったのではないだろうか。